※書きかけのなにかだったものシリーズ
(Evernoteやpomeraの中に散らかっているメモを、記事投稿時点の自分の感覚に合わせて手直しした文章)
「個性」って言葉にはなんとなく、「唯一無二の自分を能動的に表現する」みたいなイメージを持っていましたが、そうじゃないのかもしれないなという話です。
絵が描きたかったわけではなく
2020~2022年の3年間、美大の通信教育で染織を勉強していました。
もちろん目的は機織りとか染め物だったわけですが、デッサンや色彩構成はあらゆる造形芸術の基礎ということで避けて通れない仕様でした。
しかもそれぞれ2日間集中の対面授業。とてもつかれる。
…と、低めのモチベーションで参加したこれらの授業で、衝撃的な発見があったのです。
意図せずとも…(静物デッサン)
クラスメイトのなかには美大出身者もいましたが、ほとんどはデッサン初心者です。
私も鉛筆の削り方こそ知っていたものの、経験があるとはとても言えないレベルで、目を白黒させてひたすらモチーフに向き合いました。
鉛筆デッサンだけにな!
だから、そうして画面の上に現れたものは、描き手がただ純粋に「見えているものを見えている通りに描く」を達成しようとした結果なわけで、「こう描いてやろう」という能動的な意図はありません。
というか、何かしらの意図を介在させる技術なんてありません(少なくとも私には)!
描き手としては、目の前のモチーフをただ忠実に白黒2D変換して紙の上に出力しているだけ。もうそれだけでいっぱいいっぱいですし、そもそもデッサンってそれが必要十分条件のはずですしね。
なのに、皆の描いたものを壁にずらっと並べてみると、そこには巧拙とは別の「違い」がはっきり存在しました。
どのデッサンも、同様のモチーフを前にして「見えているものを見えている通りに描く」を忠実に達成しようとした結果のはずで、しかも、どれを見ても確かにそれぞれ忠実な出力であるにもかかわらず、明らかな「違い」を持っていました。
つまり「個性」を。
そこに何の意図もないからこそ、かえってその「違い」はどうしようもない大きな存在となって現れたように感じました。
これは衝撃、というよりショックに近い体験でした。
「良し悪し」じゃなくて「好き嫌い」(クロッキー)
デッサン2日目の人物クロッキーで、鉛筆以外の画材をいろいろ試してみるとさらにその「違い」は顕著になりました。
というのは、「意図」まではいかずとも、描き手それぞれの「主観」が介在してきたからです。
裸婦クロッキーということで、私はルノワールみたいな柔らかいイメージで描きたかったんですが、どうも自分のタッチはグギグギしててくどくて濃ゆい。
じゃあそれをどうするか?といったら、私が見つけた「良い」方法は鉛筆をテラコッタ色のコンテに持ち替えることでした。
色の強弱がつけやすいので、持ち味(と呼んでおく)である強弱の強さが活きるし、線の印象は鉛筆より柔らかくなってグギグギしたくどさが減ったからです。
割りばしペン+墨汁、や太いマジックだとグギグギ感が増し「てしまい」ました。
が、描き終わってクラスメイトと見せ合ったところ、グギグギ感マシマシの方を好きだといってくれる人も多かったのです。
完全に不本意でしたが学友たち(多くは芹沢銈介ファン)の意見をいったん尊重し、イーゼルに立てかけて眺めると、それはそれで確かに“タッチを活かした大胆な印象”といえる仕上がりになっていました。
特に極太の角形マジックを使ったものは棟方志功の版画っぽい雰囲気(あくまで雰囲気)。
つまり良いとか悪いとかでなく、好みの問題だったわけです。
ある若い男性は絵は描けないし美術に詳しくないなどと言いつつ、ムービングクロッキーを(裸婦を描くのが気恥ずかしかったのもあってか?)ハリガネ人間の連続で描いた結果パウル・クレーみたいな画面を作り上げていて、私は大いに嫉妬しました。
私にとってはグギグギ増幅アイテムだった割りばしペンが、彼に持たせると銅版画のような繊細でかっきりした線を描く道具になっていたんですよ。
花の色は?(色彩構成)
ところで、タイトルにした「個性はだだ漏れる」というのはデッサンから数か月後、色彩構成の授業の帰りのバスで学友たちと話して飛び出た言葉です。
個性、わざわざ作らなくてもあるもんなんだねって。それも、隠してもバレるレベルの存在感だねって。
まず切り花が何種類か用意されて、観察して見つけた色をポスターカラーでつくるというのを丸一日やったんですが、同じバリエーションの植物から見えたままの色を抽出しただけのはずなのに(見つけにくい「青」に至っては、この花のここんとこ青みあるよ!などと協力し合ったにもかかわらず)、できた25色のカラーチャートはやっぱりそれぞれ個性をもっていました。
私のチャートが極端な色温度を感じさせない色(=内外装に広い面積で使えそうな色)ばかりでポーターズペイントの色見本さながらだったのに対し、幼稚園で働くクラスメイトは子どもが好みそうな彩度の高い色を多く集めていたり…
もちろんそれも意図したのではなく、ただひたすら「見えたままの色」を集めてきた結果でした。
身体能力と慣習と判断の総合的表現
とどのつまり、「個性」ってやつのベースはその人それぞれの筆圧とか体格とか体質とか、あと生活習慣とか職業とか価値観とか偏見とか…
そういうのが合わさってできたなにかが、本人の好むと好まざるとにかかわらず、もうどうしようもなく漏れ出た結果なのかもしれないなあ、と考えるようになりました。
で、「個性を活かす」ためにはまず自分からどういう性質のものが出力されているのか客観的に把握し、それをどう扱えば意図する姿に近づけられるのか、ってことなんだと思います。
これは絵画や美術に限らず、…って話を広げると逆に「持って生まれた自分の顔にどう化粧するか」みたいな話に収束しちゃいそうなのでこのへんでやめときます。
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